「書く」という力は「より優れた」学生であるために必要不可欠なスキルとみなされるようになっている。グローバル化の一途を辿る今日の社会において多くの人々が第二言語でのライティングを要求される状況に鑑みて、学生をチューターとして雇用し、第二言語を用いる書き手を支援する組織が高等教育機関にて次々と設立されてきた。しかし、ライティング支援に携わった経験と既卒チューターらの教育・研究実践における認識や解釈との連関についてはほとんど知られていない。本研究の目的は、チューターらが第二言語としての日本語アカデミックライティング支援に携わった経験を、卒業後に日本語教師としてはたらく中でどのように意味づけしているかを探ることである。言語エスノグラフィーを主軸とした質的なアプローチに基づき、神戸大学「留学生のための日本語アカデミックライティングラボ」でのチューター経験を有する日本語教師4名に対して半構造化インタビューを行った。参与観察から得られたデータと照応しながら理論的枠組みとしてはフーコーの「自己のテクノロジー」を主に参照して主題分析を行った。その結果、第一にチュータリングが第二言語を用いる書き手の学習者オートノミーを涵養するという目標のもとにチューターらによって展開されてきたことが浮かび上がった。第二にチューターにとっての第一言語が書き手にとっての第二言語であるという文脈において、チュータリング経験が言語の「ネイティブ性」に対するチューターら自身の認識に影響を与えていることが明らかになった。本稿は、高等教育が学生に実践的な経験を積ませることで特権的な価値を有するスキルを獲得し、「よりよい」労働者としての自己を戦略的に創造することを促す一方で、学際的に対話を通じて学習者オートノミーを涵養しようとする第二言語ライティングのチュータリング実践は、今日の言語教育においてネイティブスピーカーイズムという言説に依拠する不均衡な権力関係を変容させる可能性を秘めていることを示唆する。
Ken Sugihara (Mon,) studied this question.