要旨 19世紀のデンマークの神学者で詩人のN.F.S. グルントヴィグによれば、キリスト教は信仰の告白、説教、歌、賛美を通じて共同体の中で自由に表現されるときに真に生き生きとする。この論文は、グルントヴィグの重要なエッセイ『クリスチャンの生命の兆候』の現代的な体系的読みと、シモンの回心を描いた彼の賛美歌『深く考え込んでいる漁師が座っていた』を提示する。グルントヴィグの賛美歌は、クリスチャンの生活に召命されることの意味だけでなく、熟考の必要性、そして熟考から行動への移行を示していると主張されている。グルントヴィグの洞察をさらに詳しく説明するために、この記事では20世紀の哲学者ジャン=ルイ・クレチエンの召命と応答に関する作品を引用している。クレチエンの賛美歌『創造』をグルントヴィグの賛美歌と併せて読むことによって、召命されることが弟子入りだけでなく創造においても基礎的な瞬間として理解され得ることが示されている。
アンダース・スコウ・ヨーゲンセン(フリ)によってこの問題が研究された。